皆さま   こんばんは。

早くも12月に入リ忙しい気持ちになっております。

(๑˃̵ᴗ˂̵)

皆さまは、世界的なピアニストの田中希代子さんをご存知でしょうか。

1993年~1996年

1996年2月22日に脳内出血により死去。

前々日まで、レッスンに通ってご指導頂いておりました。

ジュネーブ国際コンクール・ロン=ティボー国際コンクール・ショパン国際ピアノコンクール

の3つの国際コンクールの日本人初入賞者です。

1950年には、フランス政府給費留学生に選ばれ、パリ音楽院に入学。

フランスでは、大変有名なピアニストとして一世を風靡しました。

美智子皇后さまも、田中希代子先生のピアノを大変好まれて、美智子皇后さまから慕われたピアニストとしても有名です。

30代で、これからという時に膠原病になられ薬の副作用で右半身付随になってしまいます。

晩年は、国立音楽大学と桐朋学園大学で教鞭をとっていらっしゃいました。

私がお会いしましたのは、お亡くなりになる3年ほど前にご紹介で、レッスンを受けさせて頂きました。

最初にお会いしましたのは、ご自宅に伺いました。

その頃は、大学の授業のレッスンも全てご自宅でレッスンされていらっしゃいました。

車椅子でお迎え下さいました希代子先生は、ご病気にもかかわらず、大変オシャレでいらっしゃいました。

素敵な、スカーフを身につけられ小柄でいらっしゃいましたが、大変なオーラがありました。

神様にお会いしたような気持ちになりました。

あまりの緊張に、完璧に練習をしたはずのシューマンの曲が全く弾けなくなってしまいました。

希代子先生のお弟子さんは、皆さま優秀な方ばかりで、現在も大変皆さま活躍なさっていらっしゃるピアニストばかりです。

私の酷い演奏にも、暖かいお言葉をかけて下さり、レッスンに通う事を許可して下さいました。

それからお亡くなりになる前々日までレッスンに通わせて頂きました。

希代子先生は、車椅子でのレッスンの為少し離れたところから聞いて下さり、口頭でポイントをご指導下さいます。

私は、必死に鉛筆で書きとめます。

そして、いくつかのアドバイスを仰ると…

『それでは最初から弾いてみて。』

と、言われます。

もちろん、全て理解してなければならないです。

せっかくの先生のレッスンで先生に応えなければ…と、必死でした。

的確なレッスンで全く曲が生まれ変わります。

(((o(*゚▽゚*)o)))

『テンポを上げてごらんなさい。』

『その音は、少しためて。』

車椅子での不自由な生活にもかかわらず、帰りも必ず玄関までお見送りして下さいました。

ショパンを随分レッスンして頂きました。

私が、夏休みにフランスに行って来ます。

と、言いましたら…

それなら、フランスの雑誌を買ってきてくださる。

と、言われました。

やはり、フランスは第ニの故郷なのだと思いました。

フランスの美味しいお菓子の話しも伺いました。

ご馳走にもなりました。

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オシャレで、気品があり凛となさっていらっしゃり、ケーキがお好きでいらっしゃいました。

3年も通ってご指導頂いておりましたが、最後までやはり神様のような存在でした。

冬の寒い日に伺いますと、『寒かったでしょう。』と…。

きっと先生の方が体調が優れない時もあり大変な時でも気遣って下さいました。

ピアノの横には、美智子皇后さまとのお写真とマリア様像が置かれていました。

亡くなられた後、形見分けに楽譜を頂きました。

私の宝物です。

私の、レッスンは希代子先生から教えて頂きました、指をしっかり、速い曲は…美しく速く。

を、今は一番大切な事として生徒さんたちに指導しております。

希代子先生のキレのいい演奏を生では聴いた事はありませんが、先生のCDの演奏を聴いてそしてレッスンして頂きました事を現在は、生徒さんに伝えています。

先生との出会いは、私の人生の大きな宝です。

今日も、希代子先生のCDを聴きレッスンに力を入れたいと思います。

素晴らしいご縁を頂き神様に感謝しております。

ご縁は、不思議です。

大切にしたいですね。

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